楽しいと嬉しい

「楽しい」と「嬉しい」、ふとこの二つの言葉が私の頭の中に出て来た。どちらも心地よさを伴う気持ちとして同じような気がするが、この二つの気持ちには大きな違いがあるのではないかと思った。友達と一緒にいると楽しい、家でプレステをするのも楽しい、ちょっとしたいたずらをした時のスリルも楽しい、テストで良い点をとった時は嬉しい、好きなおかずが夕食で出てきた時嬉しい、好きな人が謔ぃと声をかけてくれた時も嬉しい。楽しいという気持ちは自分の中から湧いてくるもので、嬉しいという気持ちは外の世界から何らかを与えられた時にでてくるものではないか。もちろんうまく分けられるかはわからないが、然し嬉しいという気持ちはそんな楽に味わえるものではないのではないかと思った。

最近の若者(だけではないかもしれないが)は嬉しいことは日常にあふれているだろうか?渋谷を歩く背の高い女達、ギャングと称して赤や青のジャージを着て夜中街でたむろする男達、彼らは確かに楽しそうにはしているが、彼らが嬉しそうにしているところは殆ど見たことがない。もちろん何かお目当てのものをゲットして「チョーウレシー」とか言っているのは耳にするが。彼らがテレビで取り上げられインタビューをされているときたいてい口にするのは「楽しいから」である。彼らは楽しければいいのだと言う。

楽しいだけでも良いか、私も考えてみた。なんか良い気もするが、でも私はやっぱり嫌である、それに私は楽しいだけでは生きて行けない。それは私には愛する人達がいて、慈しむべき人達もいて、また私も愛され、慈しまれているからということが大きな理由である。それに私は楽しいだけではきっと満足できないと思う。何故なら、「嬉しい」と感じるような事象を欲しているからである。私なりの人生においての幸せの追求は、彼らが「チョーシアワセ」と言っているような「楽しい」の上にある幸せではなくて、「嬉しい」の向こうにある幸せであるからである。私には彼らは理解できない。彼らの幸せは決して他の人の幸せをも育めるものではない。彼らにとって幸せはメタファーではない。感情と状況をイコールで結ぶのも変だが、彼らにとっては楽しいことが幸せなのである。その場完結である。そこにはなんの社会性も発展性も見られない。

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